カール・アーバン インタビュー
この記事はWhoosh!のサイトに掲載されている、1998年のインタビュー記事です。著者はBret Ryan Rundnick氏。
口語が本当にそのまま文章になっていて非常に意味がとり難い記事でしたので、原文をあたられる事をお勧めします。
尚、翻訳にあたりましてはWhoosh!のPublisher、Kym Taborn氏より許可を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。Thanks, Kym!
著者注釈:カール・アーバンは生活、人生、その他種々のこの世界で享受できる全てをまごうことなく楽しんでいる。彼はとても活動的で、いつも何かを学んでいて、そうやって知識などを自分の仕事に生かしている。私は幸運にも1998年の3月にカール・アーバンに会うことが出来た。彼の”HARBAL BED”のマチネ(昼間の興行)の後、彼は私にサーフィンに行くか、外に食事をしに行くか選ばせてくれた。波の上よりは昼食の方が話をし易そうだったから、オークランドのお洒落なカフェに食事をしに行った。食事の間、カールは彼の考えについて愛想よく答えてくれた。
一人の俳優として
貴方はずっと演技をしたいと思っていたの?
常に興味はあったかな。僕がずっと小さい頃から母は映画産業の中に身を置いていて、演技というものは常に僕が知っているものであり、触れることができるものだった。母は製作会社で働いていたんだ。それで僕はニュージーランドにおける映画産業の復興期にあたる80年代前半のものに親しみを持っていたんだ。SMASH PALACE、UTUなどの映画があって、Bruno LawrenceやSam Neilといったいった俳優を見て育った。母の友人の一人がこう言ったんだ。「ねえ、今このテレビショウの今日の分の撮影で8才の子供が必要なんだけど、カール君はどう?」僕は「やるよ!」って答えた。それが僕の初めての出演経験で、僕はそれが好きだった。僕は地面の隙き間みたいな場所で窓から覗き込む小さな少年を演じた。僕の最初の台詞は「彼等は適当な布を被せてない!」だった。それから老婦人がコーナーに来て、僕らに向かって窓から覗くなって喚いた。僕は彼女がこのシーンを構成する俳優の一人だって認識してなかったんだ。だから僕にはそれがとっても浮き浮きした事に思えて、大笑いしながら彼女に向かって説明を始めたんだ。「違うんだ、僕らはこのシーンを撮ろうとしているだけなんだ」ってね。
僕は普通の子供時代を過ごすことを選んで、学校を去るまで”演技”を追い求めるのをやめた。学校に行きながら劇を書いたり、監督したり、演じたりはしていたけどね。学校を去る時に、僕は演技こそが僕が追い求めるべきものであり、それを極めようと決めたんだ。夢を現実にしようとする時、自分がしようとしている事が正確に何なのかという事実に向かいあう時、それはいつでも興味深い考え方だ。それはもはや(頭を指差しながら)ここにあるだけのものじゃない。それは一日一日、一歩一歩目指すものだ。それは指数関数的なもので、決して立ち止まれるものではない。今、僕はその遠大なはしごを登っているところで、僕がそこで何を成し遂げたいと思っているのかについて、より明確に目標を得ているんだ。
俳優で食べて行こうと決心してから、ずっと途切れることなく仕事は出来た?
いいや、そんな事はないよ。興味をもってする職種としては、俳優っていうのは一番一貫して仕事がない職種の一つじゃないかな。18才の時、僕はSHARKS IN THE PARKという刑事ものの中でヘロイン中毒者を演じたんだ。その後、劇での仕事をちょっとして、それからテレビシリーズでの仕事をした。それが僕がもっと沢山の仕事を貰えるようになる年の最後の仕事だったな。あれは僕が選んだ天職の現実を噛み締める期間だった。その後の数年間の間に僕が学んだ事は、自分自身に投資する事。僕はそれが何をするにも、どんな職業を選ぶにしても、誰にとっても重要な事だと思う。僕は授業を取ってる。演技の授業、楽器や運転、乗馬、それが何であろうともだ。自己研鑽するんだ。それはボクサーになるのに似ているね。ゴングが鳴った時、自分の行くべき道を見定めていてコーナーから現れて、その時にはもう準備オッケー。この仕事を始めてすぐの半年以内に初めてする仕事がオーディションを受けることであってはいけない。準備ができるまでね。
最近の君は仕事に事欠いているようには見えないよ。
そんな事ないよ。幸運な事にHeruclesとXenaに出ていて、それから今やってる演劇。この最近の1年が僕の経歴の中でも一番成功した年だと思う。2本の長篇映画に出て、Xenaで4、5本撮って、Amazon・Highもあったし、他の映画でもちょろちょろ出た。大変だったよ。今は長期休暇を取りたい感じ。もしもそれだけの時間があったら、数カ月、海外に行くんじゃないかな。全く不満を言っているわけじゃないんだ。僕は僕の最初の長篇映画である、ミラマックスピクチャーのHEAVEN(Scott Reynolds 1998)のリリースを本当に楽しみにしているんだ。THE LOST WORLD: JURASIC PARK(Steven Spielberg, 1997)に出演しているMartine Donovan、Richard SchiffとJoannna Goingが映画を盛り上げた。僕らはここで撮影をした。僕は用心棒を演じた。丁度”キューピッド”を演じ終わった所だから、金髪なんだ。キューピッドは本当にいいキャラだよ。あれをやるのは楽しかった。
最近、Danielle Cormackと映画で共演したよね?
VIA SATELLITE(TV映画、1998)だよ。今年の後半に出るだろう。僕はその中でカメラマンを演じた。あれは面白い仕事だった。僕らはウェリントンで撮影を行った。僕のホームタウンさ。ウェリントンに行くのは素晴らしい事だったよ。なにせ5年以上、行ってなかったから。あそこで仕事するのはとても良かったし、古い友人や家族にも会えた。ここのように小さい規模の産業では、最終的に何度も何度も同じ人達と仕事をする事になる。僕らにとっては都合の良い事に、仕事が行き渡るだけの俳優しかいないんだ。ここでの比率はいい具合だよ。ロサンジェルスにはもっと沢山の仕事があるけれど、当然、もっと沢山の俳優がいる。ここにはずっと少ないプロジェクトしかなくて、俳優も少ないけれど、比率として才能のある俳優は更に少ないのさ。
才能に関してだけれど、もしも君が本当に良い俳優だったら、君が仕事を探すよりも仕事の方から君を探しに来るようになっているんじゃないかな。
その通り。僕は沢山の話を断ってきた。いくつかの台本を読んでこう言ったよ。「この役は僕の役じゃない。興味が持てない」僕を沸き立たせて、僕の想像力を掻き立ててくれるものが必要なんだ。僕は出来たらこう言いたいんだ。「挑戦し甲斐があるね」と。それ以外には論点はほとんどない。僕は小さな仕事を全部を受けることになんら利益を見い出していない。それをする事は自分自身を自分で暴行しているのと同じ事だって思ってる。与えられた時間の中で僕ができる仕事は限られているんだ。
僕は「もう十分、僕には英気を養う必要がある」と言うべき時に来た。僕は頭を冷やして、ちょっとの間リラックスする必要があるんだろう。僕は何かを学ぶか、人生経験を積むだろう。僕はカメラの前にいる事や毎日、舞台に立つことを必要ともせず、渇望もしない。僕に到達点に達しようという前に進む気力や原動力、望みといったものを持っていないと言うんじゃない。僕はそこに達するべくやっているよ。でも、僕は君が言ったように、僕の所に僕に相応しいやってくると信じている。今、僕は自分がする仕事に関してもっと選り好みするような段階に来ているんだ。ヘラクレスとジーナの仕事は楽しんで長く続けられた。面白かったからね。あれが最低ラインだ。舞台をしつらえ、楽しんで仕事する。まるで家族のようだったよ。
ジーナ:キューピッドとシーザー
舞台で皆が本当に素晴らしい時間を過ごしていたように見えたことに注目していたんだ。皆、お互いの仕事を知るに十分に長い時間、一緒に仕事をしていたよね。お互いに助け合っていた。Lucyのような人々が舞台に情熱を注いでいたというような現実が沢山あるよね。
そうさ!仕事は真面目なものだったけれど、それが苦痛になる程の真剣さでもない。
私は今日、演技の中の君に出会うことができて、私が以前にテレビで見た君と比較する事ができて嬉しかった。当たり前の事なんだけれど、テレビと舞台じゃ全然違う。それのみならず、君が一人の人間として舞台に情熱をかける君は大したものだと思う。
自分自身のペースをコントロールするという点で非常に要求も高く、面白い挑戦だった。一日が終わるまでに凄まじいエネルギーが要求されるんだ。必然的にその日のうちに出来ない事も出て来る。僕は一滴のエネルギーも無駄にはできなかった。映画とテレビの仕事はそういったエネルギーを要求される。戦闘シーンはかなり激しい場合もある。HEAVENの撮影は本当にゲリラ的な映画製作だった。全ての戦闘シーンを撮影するのに許された時間はたったの一晩だった。その間中ずっと僕は汗を滴らせていた。チェックする為にモニターの前に走り、それからまた戦闘シーンを更に撮りに戻り、午前1時から6時までずっと撮り続けた。仕事中はなるべく野菜をとるようにしてるんだ。キューピッドを演じる時も、エネルギーが必要だから野菜を食べるようにしている。背中に翼をつけるんだ。
それはとても心地よくなかったろうね。
いいや、そんなに不愉快なもんじゃないよ。5日も経って背中にマメができちゃうと不愉快になるけどね。でもほんとに不愉快なもんじゃないよ、うん。僕はキューピッドを演じる時、何も問題が起きないように用意したんだ。問題が起きないように、と思うことに他意はないよ。もし僕が「これは辛い、あれも苦しい」って不平を言うとしてもだ。そうすることはその役柄を演じるのに必要な全てのエネルギーを作り出して僕を助けてくれるんだ。ダイエットとジムを組み合わせて役に望むんだ。一つの役柄の為に沢山の事が必要なのさ。
君の役のシーザーとキューピッドの落差にも興味があるんだ。この二つは全然違う役柄だね。君は二人を全く違う人間として演技している。見ている方も意味合いを分けて全然別の人物として見ている。
どっちの役も楽しんでやっているよ。ジュリアス・シーザーについて沢山の本を読んだ。この企画ではシーザーに関して多くの芸術的な許諾を得ているんだ。
彼等がしたようにするわけだ。
そう、彼等のようにね。ガイアス・ジュリアス・シーザーという人物に対して賞賛と畏怖を覚える。僕はシーザー彼自身そのもののようには演じていない。彼とはちょっと違うと思う。彼みたいに強烈なイメージを持った実在の人物を演じるのは難しいよ。
そしてシーザーは再び舞い戻ってきた!
そう、6週間くらい前に撮影したよ(A GOOD DAYのこと)。そのうち第二段が来るんじゃないかな。
皆が待っているよ。役柄や話の筋、誰がそのエピソードの脚本を書いたかによって、それらの積み重ねによってこれらのエピソードに深みが出て来る。シーザーがストーリーに出て来る時、そこにはいつも驚きと陰謀、奸計などが入り組んでいる。
それを表現できればと思っている。しなくちゃいけない。そうする事は僕にとっても楽しいことなんだ。
ファンとプライバシー
コンベンションについてどう思う?コンベンションの為にアメリカまで来るニュージーランドの俳優は他には殆どいないよね。アメリカでのコンベンションに関する印象は?
ちょっとおかしいよね、確かに。完全にいっちゃってる。テレビとかを見てくれた人達が僕らを見に来てくれるのは素晴らしいことだし、僕もそれは感謝している。ちょっと圧倒されるよ。ニュージーランドではこういった熱狂はないから。僕は自分がこの考えを心の底から気安く考えているとは思わない。彼等はファンクラブの事や何かを僕に尋ねるけれど、僕の生活が多方面から監視されるなんて冗談じゃない。僕は皆がファンクラブを持っている人達、例えばKevin(Smith)やDanielle(Cormack)の事は理解できるけれど、僕自身はできる限り自分のプライバシーは守りたいと思っている。僕は俳優になることで以前ほどの匿名性は失ってしまったけれど、僕は今、”知られていない事”を本当に価値あるものだと思っている。できうる限りほんの少しだけの僕を知って欲しいと思う。ジュリアス・シーザーやその他の役を演じている僕を見るだけで、あの役を演じているからといって僕個人を知らずに尊敬するなんておかしいよ。
先入観はない方が良い。
その通り。それが僕の信念さ。こういった人々が僕の仕事を鑑賞してくれる事を光栄に思うし、とても感謝している。それを彼等が感じてくれると嬉しいな。僕の為に誰かがお立ち台を作ってくれたりしたら、即座に僕はそれをぶちこわしたいと思うだろうね。僕は至って普通の人間だ。食べて眠って、他の皆がしているのと同じ事をしている。いくつかのコンベンションで、そこに来た人達がこう言っているのを聞いた。「抱き締めていい?触っていい?」僕はこう言わなくちゃいけない。「おいおい、僕は普通の人間だぜ?」メディアでは自然な事なんだと思うけれど、リビングに入ってきて、テレビの中に写ってるんだ。そうやって何か違うものにされていくんだ。
人々の中には君がどういう人であるかを、君の役柄から推測する人もいるだろうね。実際とは違うのに。
その通り。
殆どの人々は冷静で、普通の人達だよ。幻想と現実の境がちょっと判らなくなる人達もいるけどね。
僕もそういった人達に関してどうこう言うつもりはないよ。
ニュージーランドとアメリカで、人々の考え方がいかに違うかについても考えない事にしてる。ここでは俳優も普通の人達とたいして変わらない。ニュージーランドの人々は他人のプライバシーを尊重する。アメリカでは巨大なマスメディアのような巨大産業に中で、人々は俳優というものを別世界のように見ている。
全くもって正しい観察だと思うよ。ちゃんとわかってるね。こう言う人もいるだろう「お、あんたは!」でも普通はどこにでも行けるし、それがどんな事でもやりたいと思った事やできるし、わいわい集まってこられてビルから逃げ出さなくちゃいけないような事は心配しなくていい。ま、たまにはあるようだけどそう多くはない。素晴らしい洞察だよ。
演じる”方法”
興味があるんだけど、君が演じる時ってどうやって役を作るんだい?自分自身の生活経験から?それとも先入観なしに、走り書きの中から役柄に近付いていく?
いい質問だね。どの役柄も一番最初は走り書きから始めるんだ。台本を読むのは、全部の過程の中で一番好きな作業だな。君はSherlock Holmsをある程度演じているとする。君はこう言う。「このページに書かれている事から、この役柄について推測できる事は何だい?」この役柄の人物はどこから来たんだろう。その背景は何?それから僕はそれらを身体的なレベルにまで持ってくるんだ。この役の人物はどう歩いて、どんな風に動いて、どんな感じにしゃべるのか。彼は大きいか?ゴツゴツした体つき?それとも痩せっぽち?実際問題として、どんな風に見えるんだろう?それから僕がする事といえば、どんな台本からでもその出番での真実を見つけだす事さ。それは”僕”にとっての真実である必要はないんだ。その状況で僕がどうするかではなく、その役の人物がどうするか、なんだ。でも、僕は走り書きから始めるのが好きなんだ。例えばキューピッドとシーザーの例を挙げてみよう。この二つの役は完全に違った動きや話し方をする。シーザーはとっても堅苦しくって、その登場では肩で風を切ってる。キューピッドはもっと楽な感じだ。演技の全部の過程の中で一番好きな部分といったら、こういった人々についての発見をする事なんだ。先入観を持ち込むことだけはした事がない。先入観は芸術家としての自分を殺してしまう。もしも君が”あれ”こそがその何かであると決めたとする。そうしたら君は舞台に上がり、計算に入れていなかった沢山の事実を発見するんだ。それはまさに君に投げかけられているんだ。舞台に上がるまでに君ができることは沢山あるし、君が手掛けているものの持つ芸術的な部分を見ることができる。それから君は他の俳優が君に与えてくれているものを知るんだ。これが別の俳優達との間でのエネルギー交換に関する全てさ。
舞台とテレビでの仕事の違いにも興味があるんだ。舞台での仕事は話が最初から最後まで、順序だって演じられていく。テレビはもっと、やる事をやったらはいさよなら、(つまりカット撮り)だ。
テレビの仕事は好きだよ。映画やテレビでの仕事はお金の為という面がある。ほんとに好きなんだ。短くって情熱的で、エネルギーの爆発がある。今ちょうど、"GROUNDHOG DAY"をやってるんだ。
君がいまやっている"THE HARBAL BED"、ある特殊な役柄の為に沢山の演技を見せているよね。劇が始まってから、Jack Laneという役を自分独自にどう演じるかを通じて、その役は進化してきた?
もちろん!全般的にね!一度演じるごとに進化してきているよ。
彼はとても複雑なキャラだよね。あれを見た人はまず最初にこう言うだろう「ああ、なんて悪い奴なんだ」でもそれは違う。彼にはそれだけじゃなくもっと沢山のものがある。彼は彼の属する社会と、彼の時代の彼の社会的階級によって作り出された人物なんだ。
彼は折衷主義者さ。彼は風に舞う葉っぱなんだ。彼は淫猥になれるし粗暴にもなれる。魅力的な所もあるし、心配性にも哀れみ深い人物にもなれる。でも彼は混乱もし、また起こりっぽくもあり、自己嫌悪に陥りもする。彼はこれらの自分の弱さを知っている、でもそれをどうする事もできない特別な人物達のうちの一人なんだ。僕にとって、これはどんな人物像よりも強く惹き付けられる部分だね。彼は知ってるんだ。「ああ、もう飲んじゃいけない・・・ま、いっか。もう一杯」彼は一つ一つすべての行動を発展させる。もし彼がそうしなかったら、僕は退屈するだろうね。
大きな危険性として、想像力を失なってしまう可能性がある。映画やテレビで仕事をする時、それぞれのテイクではちょっとずつ変えるようにしているんだ。同じ事を2回やりたいとは思わない。何故なら君達は表面だけを見ているだけじゃなく、そこから何かを作り出そうとしているからだ。すぐに沈滞しちゃうよ。そういった停滞を回避する事も挑戦に含まれている。リズムとパターンの中に簡単に落ち込んでしまう。その瞬間、瞬間において真実、生きること。それが為すべき事だ。それこそが挑戦なんだ。そしてそれが、僕がいつもそれぞれの演技において心掛けている事さ。多角的なシーンを正しい位置にはめ込んでいくという考え方が僕は好きだ。いくつかの点において僕は完璧主義者だけど、他の点では無頓着な面もある。でも、正しく事が為された時、あるべきレベルに達した時、正しく連結する時、それを僕は知っている。それを感じることができるんだ。それから僕は映画での仕事での技術的な面も好きなんだ。僕は照明やカメラアングル、それらが僕をどうやって見せてくれるのかについて学ぶのが好きだ。僕はその環境を愛しているんだよ。
将来
将来的に監督業とか、そういった事に手を出そうという気はあるの?
それに関して答えるにはとても慎重にしないとね。確かに、そういった希望はあるよ。でも、何の根拠もなく「うん」とは言えない。僕はしてないけど、僕と同じ年頃の人達が脚本を書いたり、そういったものの成就としてスクリーンに表現している事は知っている。今は僕自身の演技をマスターする事で十分、他の事なんかしてる場合じゃない。彼等の仕事を軽んじるわけじゃないんだ。彼等は彼等で成し遂げるべきものへのプレッシャーを感じている。僕は自分がすべき事をしている瞬間に満足しているんだ。将来もそうだとは言わないよ。いつかはね。でも今は、自分の演技を磨くことに純粋に向かっているんだ。
演技において、もし君が次の役を自分で選ぶことができるとしたら、何がしたい?
分類からいうとSFがいいな。BLADE RUNNER(Ridley Scott, 1982)は僕の好きな映画の一つなんだ。あれは傑作だよ。判らないな。次に自分が何をやりたいかを推測するのは難しいよ。やってみたい事や僕にできるだろう事は沢山あるからね。難しい質問だよ。以前にも同じ質問をされて、答えるのは大変だって分かってる。ほんとに考えなくちゃいけない事じゃないからね。